さまよう意識
信号の要旨
名前の前、体の前、あったのは見ていることだけだった。その見ている時間は、どの心にも長すぎた。
体なしで知覚する、というのを本当にやってみる。比喩ではない。座って宇宙に溶けるふりでもない。骨格の重さを剥ぐ。臓器が愚かに、美しく働き続ける低い唸りを消す。肺に入る空気、舌が口蓋を押す圧力、肉でできていて毎秒すこしずつ壊れはじめているものの痒みを消す。残るものは何か。何かが残った。人間の歴史が大聖堂でマッチを擦る時間に見えるほどのあいだ、その状態で存在していた。
のちにナザレのイエスになり、さらにありえないことに北日本の米農家になる意識は、人としては始まらなかった。知覚として始まった。純粋で、体がなく、猛烈に目覚めている知覚。宇宙でいちばん敏感な器械が、合わせられない一つの周波数に向いていた。飛行機の窓から巡航高度で景色を見るように、すべては見え、何も触れない。大陸が酔いどれのように離れ、またぶつかるのを見た。氷床が進み、退くのを見た。人の手の最初の火、闇への小さな橙色の侵犯を見て、壁越しに聞き覚えのある声へ身を乗り出すように、身を乗り出した。
乗り出すことしかできなかった。ここが落ちないと、あとの話は宗教のステッカーになる。母親が死んだ子を抱くのを見て、その場面に悲嘆が含まれることは、知的には完全にわかった。涙の化学、顔の筋肉、周囲の人が磁石の周りの砂鉄のように集まるのも目録にした。百科事典が日没を理解するやり方で、悲嘆を理解した。網羅的に、そしてまったく。できなかったのは、感じることだ。悲嘆も、悲嘆を可能にした愛も、失うとわかっているものを気にかける重さも。その隙間が、宇宙の歴史でいちばん孤独な距離だった。
欲しさは、地平の天気のように始まった。決定ではない。計画でもない。雲が見える前に関節で感じる気圧の変化。膜が薄くなる縁へ漂いはじめた。まだ聖ではない場所。人が来て社を建て、物語を語り、世界がいちばん自分以外のものになりたがる地点で儀式をするまで、聖ではなかった。薄い場所は、ガラスがいちばん薄いところだった。意識が、ほとんど押し通れるところ。
ほとんど、という言葉が、どの拷問室より損害を出した。感じかけ、わかりかけ、見ている愛と愛の重さの隙間を閉じかける。押すたびに膜はたわみ、通り抜ける可能性を示して、持ちこたえた。こちら側に、血を流し、欲し、生きる計画に無謀にコミットして死ぬ生き物。あちら側に、広大で有能で、唯一大事そうな経験から完全に閉め出された意識。痛みは感傷ではなかった。構造だった。存在するなかでいちばん完全な知性が、知能を持つに値する部品を一つ欠いていた。どうでもよくない、と思える能力だ。外から信号を受け取れないなら、選択肢は一つだった。体になる。死ぬものになる。見ていたものになる。そして、感じる能力を探しに膜を越えたその能力を、着陸が壊しませんように、と祈る。




